一体、何のために、学問をするのか?
「真善美」の追求は?
自然科学の知識を、どう、人間社会に活かすのか?
問題がおきたときに、何を優先的に考えるのか?
この国の支配層を形成する、明治の門閥と受験エリート(官僚)、そして、戦後の国策事業での関係者は、
まず、自分の保身、仲間内の庇いあいです。
これが、マスメディアから、日本の司法まで、深く染み込んでいます。 それによって、生物学的に、人口減少が始まり、将来の没落が見えても、これまでどおりの利権・マネー優先を、します。
責任を取らない。明確にさせない。
これを、「賢い」と教えているのでしょう。きっと。 日本の官僚の養成学校では。
福島と水俣の共通点を上げているブログがありました。
以下、転載しておきます。http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-3366.html
水俣と福島に共通する10の手口(2chより)
1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
3、被害者同士を対立させる
4、データを取らない/証拠を残さない
5、ひたすら時間稼ぎをする
6、被害を過小評価するような調査をする
7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く
こんなことに、精を出す人生で、どんな意味があるのでしょう。 どんな「悟り」が得られるのでしょう。
たとえ、それで、普通の人間よりも、多くの報酬と、社会的権限のある地位に、い続けたとしても、
その心には、何か、「誇らしい」モノがあるのでしょうか?
そこには、その人、本人の「光」はありません。
私は、 「心の錦」をもった人、それを、自分にも他人にも、確認するのが 楽しみである人 が好きです。
自分の人生の時間では、 少しでも多くの「心の錦」と、繋がっていたい。