原発事故が起きても、その真相を究明せず、平気で、安全基準を引き上げ、国民に大量被爆を続けさせ、
それでも、コントロールされていると、国際社会に、平気ウソをいい、オリンピック招致を勝ち取る。
さらに、今度は、専守防衛を踏み越えて、実質、日本国軍を海外に派兵する。
さて、このとき、きちんと、統御できるのか?
ガバナンスが効くのか?
国家の最大の暴力は軍事力だが、これが、カネを生む利権を作り出すとき、全くコントロールできなくなったのが、第一次大戦後の日本の軍部であり、それが加速したのが、1931年9月からの満州事変だった。
当時の最高権限者の天皇を無視して、中国大陸内で軍事活動を、どんどん広めていった。そして、最後は、その軍事行動を止めさせるために、天皇は、世界権力と組んで、日本国全体を破綻させた。
そして、その反省から、戦後は、日本の統治体に、平和憲法という「枠」をはめて、統御した。
しかし、日本人の権力者は、原発を「カネのなる木」にしたところから、この「枠」が見えなくなり、統御不能になった。
この原発は、事故後も野放図のまま、誰も責任を取らず、どんどん国民を放射能で殺し続けている中で、こんどは、再び、軍事組織を、海外に派兵するという。本当に、専守防衛なのか?
名目は、邦人保護と、同盟国支援だが、
さてそこに、ガバナンスはあるのか? 統治体としての、統御が利くのか?
司法はきちんと働くのか? メディアの監視はあるのか? 国民のイノチが尊重されるのか?
すでに、この点の危惧は、 全く無視されたことが、原発事故後の3年間で、証明済みだ。
国民は、一部の人間の利益ための、駒でしかない。
しかも、国民のイノチを無視して追求しているはずの、その利益(富)すらも、どうも生まれていない、と。
それに対し、天皇につづいて、司法がようやく気づいたが、 財界はどうなのか?
単なる規制緩和だけでは、 何も富は生まれない。
マネーの前に、 自分で、現実を作り出すという意識がないと、何も生まれない。
国家と個人は、対等のはずだが、 私物化された国家は、 個人をどこまでも食いつぶす。
洗脳されないようにね。 自己家畜化しないように。 自分で自分に麻酔や麻薬を打たないように。
まず、小さくても、確かな現実を創って、連携しよう。