福島県知事選挙について、多くの方が発言しています。
それを、植田信氏が、総括しています。 こちらを、皆さんご覧ください。 これが、今の、大半の日本人の姿です。外国の知性からは、あきれ返られるでしょう。なんでそこまで、依存するの?これは、思考回路の問題。
http://8706.teacup.com/uedam/bbs から、転載します。
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福島県知事選挙、各ツイッターの反応、その2
じゅんこさんのツイッターに天木直人氏の反応がありました。
https://twitter.com/junko_in_sappro
*「爆猫@重度釘宮病患者(延命治療拒否)akuneko999
福島知事選が見事に示したこの国の政治の不毛(天木 直人)
「福島知事選が予想通り不毛な結果に終わった。私は与野党相乗りになった時点ですっかり関心をなくしたのだが、それにしてもこの福島知事選を見て日本のこれからの政治に絶望感を抱かざるを得ない。」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20141027-00040290/
天木さん、早急すぎますよ。
日本・律令体制がそんなに簡単に変わるはずがありません。
しかし、今回ばかりは、変わるでしょう。
3.11が、不比等・日本律令体制を終わらせます。時間がいま少し、かかるでしょうが。
人口4千万、です。
そこが、いかに律令理性人といえども、日本人がこの体制に我慢できる限界です。
まだ1億人を切っていません。
原発推進派の天下です。
世に倦む日々さんhttps://twitter.com/yoniumuhibi
「福島原発事故で、無念のうちに死んで行った人たちが多くいる。SPEEDI隠しで被曝させられた人たち、酪農や養鶏を途絶させられた人たち、甲状腺がんになった子ども、故郷を離れて避難せざるを得なかった家族。本当は、その人々の怒りがこの県知事選で爆発して、民意にならなくてはいけなかった。」
いやいや、日本人の論理と心理を読めば、そうはならないでしょう。
「お上」に意見を言う、よりも、消えることを選ぶ、のが日本人です。
可哀想な人たちです。
怒り、というより、権利の主張を知らないのですから。
人には、自分のイノチの安全を最優先にする権利がある、と。
日本人は、そう考えるのではなく、「お上」が安全だというのだから、病気になった自分がわるいのだろう、と。
これが、律令理性の思考回路です。
ゆえに、当分、福島心中となるでしょう。
TertuliaJapon さんhttps://twitter.com/TertuliaJapon
「福島県知事選。諸団体を数多く味方に付けて選挙が決まってしまった。日本人の主体的な、自主的な、独立した発想で生きることができない欠点をそのまま物語る。これが民度の低さと言うものだろう。ある者が旗を振ると、その旗に従うことしか知らない。旗を振るガイドに連なる、アヒル集団ということか。」
アヒル集団にして、羊の群れ。
もう出来上がった思考回路を、いまさら変えることも出来ず、ゆえに、人口が激減します。
しかし、皆さん、絶望するにはあたりません。
今は、クリーン・アップ・タイムです。
律令理性人は、消えるに任せよ、と。
酷のようですが、小出裕章さんの名フレーズです。
「だまされた者には、だまされた責任がある」と。
その結果としての、日本人・福島心中。
人口4千万へ。
・・・(この書き込みの前に以下がありました)・・・・・。
福島県知事選挙、前副知事の内堀氏が当選しました。
ヤフー・ニュース「福島県知事選は26日、投票が行われ、無所属新人で前副知事の内堀雅雄氏(50)の当選が確実な情勢となった。
同県の知事選が行われるのは、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後初めて。現職の佐藤雄平知事が退任を表明し、過去最多の6人が立候補した。内堀氏は自民や民主など主要政党の支援を受け、選挙戦を通じて優位な戦いを進めた。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141026-00050048-yom-pol
ツイッター各氏の反応。
東海アマさんhttps://twitter.com/tokaiama
「福島県民が内堀を選んだということは、何も見ない、何も聞かない、何も言わない道を進むことを選択したということだ
その先にあるのは地獄のみ」
木下黄太さんhttps://twitter.com/kinositakouta
「何のコメントもないです。予想のまま。⇒福島県知事選、前副知事の内堀氏が当選確実(読売新聞) - Y!ニュース」
どちらも、もっともなつぶやきです。
今の時点で、福島県人が3.11に反応する投票行動をするとは、私には考えにくいです。
そう考える理由ですが、福島県が、過去、いかに熱心に原発を誘致したか、です。
「1950年代から60年代半ばにかけては熱心な誘致運動が福井県や福島県で展開された。」『原子力の社会史』p.150
「東京電力福島(1974年より福島第一へと改称)の立地過程では、県当局の積極性が(福井県に比べて)一層きわだっていた。それは福島県の誘致計画発表(60年11月)に端を発する。ここでは福島県開発公社が、用地取得と漁業補償の双方に関する地元との交渉を肩代わりしたのである。これら初期の原発立地地点決定の過程では、まさに絵に描いたような電力会社と県当局の強力関係が見られた。」p.150
というわけで、福島県が原発立県を目指したのは、早くも1960年でした。
以後、2011年3月まで、福島県は、原発交付金等の、原発立地県の特権を享受してきたのでした。51年間です。
事故からまだ3年7ヶ月。
これでは、とうてい福島県民の、というか、県当局の原発への姿勢に変化は起きないでしょう。
チェルノブイリを参考にすれば、放射能の影響が爆発するのは、2016年に入ってからです。それまでは、俗に言う「カナリア体質」の人に影響が出るようです。
行政トップとしての福島県が悩み始めるのは、2016年からです。
それまでは、従来どおり、なんとかして東電・国から、原発関連の資金を手にしようと、躍起になることでしょう。
しかし、『原子力の社会史』を読んでいると、諸外国(先進国)では、原発推進の是非をめぐって、問題の焦点が、ひたすら原発の安全性になる、というのに、日本では、地権者と漁民の補償だけに特化されてしまう、というのは、どういうことなのでしょうか?