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Channel: 新井信介 「京の風」バックナンバー
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御礼と報告。デブリをどうしていいか考えない、安全保障局。アホだ。

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信州中野に戻りました。

27日の東中野は、超満員でした。

竹橋もすごかったようですね、こっちも、多くの方にお越しいただきました。

初めての方も多く、私は、

森羅万象から、入りました。

この宇宙の、太陽系の、地球の、日本列島に、今、人間として、生きている。

すべては、ここから考えないと行けません。

日本列島ができたのは、ヴィルム氷期のあとです。大体、1万5千年前から。

そして、人間であること。

人間は、想像と創造が出来る動物ですが、

錯覚、信仰、思い込みを持つ動物でも在るのです。

飯山さんの友人のお計らいで、27日の夕刻に、村田光平先生とお会いする機会を頂きました。

東京オリンピックの危険性を、いまでも、精力的に訴えておられました。

ただこのときの、対談でも、共通認識となったのですが、

日本国家、そして、日本民族の、致命的な大問題を、日本政府は、隠すばかりで、真実を知らず、

外国(中国、ロシア、アメリカ、ドイツ)のほうが、正確に知っているということが、

如何に、国家にとって、危ないかということです。

こうした状況に、国家の安全保障も何もありません。

谷内正太郎は、今の、事態を、何と考えているのでしょう。

これまでの「枠」で、考えている以上、国家や民族の超重大問題に、意識が回らくなるのです。

私の今回の東京滞在では、実は、このあと、また別の人間から、呼び出しをうけました。

王族会議が管轄する特殊資金の管理者が交代し、日本国に流れるルールが変わったというものでした。

そのときの人間も、フクシマのダダモレ状態は、知っていましたが、デブリの危険度の認識は弱かった。

福島のデブリを解決しない限り、日本人が、消えていくという、危機意識が薄弱でした。

特殊資金の発行については、新しい権限者が誕生し、日本の官僚たちを、許さんと言っているそうですが、

それならば、まず、特殊資金を、デブリの解決にむけるように意識を向け、現実に流すことを最優先すべきではないか、

そのための、タームがないのなら、早急に創るべきではないか、と、悲嘆しながら、指摘しました。

新しい権限者が、国家そのもの、そして、民族族そのものが消えていく、という事態になっていることに対し、

ビビッドなリアリティーを感じていない判断のままであることに、私は、やるせなくなりました。

勢い、怒ってしまい、声を荒らげてしまいました。

現実に、人類を殺す、猛毒発生源が、すぐそこにあるのに、なにもできない。

それが出来る知恵を、本気で、求めることもしないで、ダダモレを続けさせる。

壊れたほうがいいです。こんな、統治体。

日本は、近代国家の行政システムに、自己変革装置を、内蔵してこなかったのです。

自己変革は、実態把握、すなわち情報公開から始まりますが、「寄らしむべし、知らせるべからず」で、行政が進み、ついに、ここまで来てしまったのです。(これは、完全情報公開法をつくるしかありません。)

そして、マネーでの数値を追い、拡大させることに、自己の存在価値を見出す仕組みを作ってしまったのです。

マネーだけを追った場合、イノチがひびきあう自然環境や生命種、人間同志の心が通いあう豊かな関係性が壊れるという、マイナス要因が、マネーの表記のなかでは全く数値化されないまま、これまで無視されてきたのです。数字に見えない以上、受験エリートと明治以来の門閥ボンボンからなる権力層は、マイネスに気が付かないままで改編する意思も芽生えず、必然的に、私達が生きている現実が急速に悪化し、壊れたのです。

一方、江戸時代は、どうだったか?花鳥風月が行き渡り、宵越しのゼニはもたなかった。

美しく、絵になる、イノチあふれる暮らしぶり(生活環境)が、日本列島の全土で創りだされていたのです。

それが、維新から明治になるときは、そうした自分たちが実現していた文化生活の秘訣を考えることをしないまま、権力闘争のテロ合戦の果てに、暴力とマネーが支配する西欧世界の文明の受容と、表面のまねごとに勤しんだのです。これは、国民の心に、枠をはめ、ロボット化するものでした。

それに対し、江戸時代は、日本は国家としては海外伸張をせず、領土は島国に限定されたので、親藩外様に限らず、各藩での石高(コメの生産量)が決められており、それを増やすことは、改易(支配権の没収)対象になるほどのご法度でした。

藩主たちの情熱は、自分たちの領地の中での、現実の日常生活に現れる、「品格」と「美学」を競いあったのです。それは、江戸期の家光から、吉宗のときに、急速に発展しました。

色、形、仕草、振る舞い、音。とにかく、如何に、周囲を、アット言わせるほど、楽しませるものが、勝者だったのです。粋が好まれ、野暮が嫌われたのです。

自分の心の内側から出る創造性で、自分を輝かせ、認めさせる、強烈な、自己主張。

あっぱれ、と言わせる。

これによって、自然・イノチと呼吸しあう、豊かで、色鮮やかな日本文化が完熟し、参勤交代と街道筋の整備によって、江戸や京都の情報が、各藩でも共有され、列島に生きる人間は、みんなが、「あっぱれ」と、いわれる自分をめざしたのです。そこでは、マネーにこだわることなんか、野暮の極みだったのです。

誰の創造性と表現力が、イチバン!か?

殿様から、農民、氏子まで、すべて参加した、生き様でしめす、心の華の競いあいだったのです。

心の内面を潤わせる教養人や、音楽や衣装、演目など、美しさを表現するものは、各地で大切に扱われたのです。

悠久のイノチの流れの上で、今生しか無い、限られた生命時間に、

どれだけ、心の色を、肉体で表現するか?想像し、創造したのです。

それが、艶(色が豊か。えん、ツヤ)。これをもとめ、旅心、歌心、恋心。

人類が羽化できるかどうかという、究極の事態を前に、

自分の口座に入り込むマネーの多寡のみを追って、既得権しかみないアホが、権力をふるう日本。

こんな、権力を認めている日本では、デブリは解決しない。

では、どうすればいいのか?個人が、意識の中で、地球を飲み込むしかありません。

そして、国家の次元を越えて、マネーの本質を知り、文化継承者の次元で、今の自分を、考えなくてはなりません。

人間は、個体生命であるかぎり、必ず、死ぬのです

(私の場合、お化けになるのです。そして、成仏しません。この三次元にとどまります)

個々の生命よりも重要なのは、イノチと文化を、未来に、つないでいくことです。

自分のカネをふやすことに集中することは、森羅万象の中で、脳内での、「点」に意識が行くことで、

自分を包み込んでいる、現実の空間や、時間(イノチのナガレ)を、忘れることで、

意識の世界から、イノチが消えさって、それは、現実に、個々のイノチを抹殺していくことなのです。

イノチに、私達の意識が向かなくなれば、イノチは、消えていくのです。

なぜなら、私達が、想像と創造のできる、万物の霊長、神に似せられてつくられた存在だからです。

それゆえに、イノチを意識しない私達には、

イノチの側から反撃が始まり、個々の人間の存在を、消しにくるのです。

これには、ほんとうに、注意が必要です。

生きている今を、輝かせること。

イノチの繋がりの中に、私達は、生きているのです。生存が許されるのです。

みなさん、心と体を、大切に。そして、真実を話す、本当の友を、作ってください。

4日、5日は、じっくり話すことになります。(追って、案内します)。


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