こんにちは。
さきほどのブログの内容について、閲覧者から以下の指摘がありました。
>今日の新井さんのブログの
「アメリカの正式な国家事業であるディスクロージャープロジェク ト」
の表現は、不正確じゃないのかな?
アメリカ政府が公式に認め秘匿情報を公開せよと運動している結果 が、今回の映画に結実した。
・・・ということが正確なのでは?
これはそのとうりです。 国家プロジェクトとなると、通常、(権力者側が)国家予算をつけて大々的に進めるものですから、私の表現は、行き過ぎでした。
2001年からのグレア博士の勇気と使命感と弛まぬ奮闘が、今回の成果をもたらしています。
アメリカでは、建国以来の国家権力者が謀略を振るいますが、それに対し、市民が反発し、国家権力の形そのものを動かします。 国家は、自分たちが作っている、自分たちには権利があるとの自覚ががるためです。
日本の場合、「権力」に対する自覚は、なかなか生まれません。
すぐに、依存の対象にしてしまうからです。特に、日本語で、「市民でなく、国民」と考えた時、そこには、自分自身を、国家に従うべき存在、そして、国家から恩寵を受ける存在との潜在意識がかなり強く生まれています。 これは、明治維新のときに作られた「天皇」の位置づけが、影響しています。
映画「シリウス」によるディスクロージャーで、私たちがもっとも目覚めなければならないのは、宇宙と人類の関係を冷静に知ることで、 日本という国家=統治体における、私たち自身があり方です。
今の日本政府(既得権益層)は、マネーを無制限に発行する一方、 放射能については、「風評」の言葉で批判をゴマカシ、遺伝子を傷つけたままです。これは、イノチよりもカネを最優先している結果です。 グレア博士の勇気を、私たちは学ばねばなりません。