こんにちは。
今日は終戦記念日です。 安倍晋三は、またまた、官僚原稿を棒読みするのでしょうか?
第二次世界大戦についてですが、日本人がいまだに誤解していることがあります。
日米戦争は、何のために始まったのか? です。
これには、教科書では教えられていない視点が、二つあります。 単なる陰謀ではありません。一つは、FRBが発行する米ドルを世界の基軸通貨にする国際金融体制を実現するもの。 もう一つひとつは、日本の国家主権者である昭和天皇の意志を無視して、大陸に暴走拡大する日本軍を壊滅させるというもの。
昭和16年(1941年)の9月に、昭和天皇は英米に対し開戦する詔勅を出すのですが、それまでに、すでに、FRB(私企業)が発行する米ドルによって、世界の通貨体制を再構築する方針(実現は、44年7月のヴレトンウッズ体制)ことが決まっていました。
これは1921年が起点になります。この年、ワシントン軍縮会議があり、日本にはバチカンのイエズス会が上智大学を創り、中国大陸には国民党と共産党が生まれますが、特に重要だったのは、アメリカにできたCFR(外交問題評議会)です。ここが、アメリカのロックフェラーたち戦争屋の謀略拠点になりました。
一方、これに対抗するように、4年後の1925年に、ハワイに IPR(太平洋問題調査会)が作られ、各国間の平和的調整が話しあわれます。文化経済問題の討議が中心でしたが、IPRにもスポンサーとしてロックフェラーらが影から入り込んでくると、外交と政治に討議内容が移っていきます。IPRの本部はハワイから、1928年6月の張作霖爆殺後には、アメリカに移されていきます。
そして、1931年9月の満州事変が事態を一変させます。
昭和天皇ヒロヒト個人がもつ「金塊」に基づいた莫大な通貨発行権のことを知ったアメリカの戦争屋が、日本とドイツの軍部に裏から工作し、どんどん戦争を煽って拡大させる方向に誘導していったのです。日本が1932年に国際連盟を脱退したあと、本来なら平和構築機関のはずのIPRは、国際事務局を1933年には、ニューヨークに移転します。
以後何を話されたのか? 日本をいかにして、アメリカとの戦争に巻き込み、さらに敗戦に導くか、だったのです。
日本の軍部は満州国を建国したに留まらず、華北に空爆を始め、熱河地方に軍事侵攻します。この点満州事変の当事者の石原莞爾は、満州で軍事作戦をやめ、将来のアメリカとの決戦に備えよと主張していたのですが、彼は外されます。そして、石原の成功に嫉妬した他の陸軍軍人が、一気に、中華民国の制圧に入ります。そのために、現地での支配地域を広げ、その運営資金にアヘンを使うことを考え、栽培を支配下の住民に奨励します。天津には巨大なアヘン取引所ができていましたし、杜月生が支配する上海は、アヘン戦争以来、アヘンを大量に消費し続け、このとき、世界最大のアヘン消費地になっていました。
密かに、昭和天皇の意向を受けている海軍陸戦隊は、満州事変の翌年、上海の麻薬商サッスーンを襲ってその財産を奪います(このときの金塊を、昭和天皇は海軍に一旦、秘匿させ、終戦時に、蒋介石の右腕の陳立夫と、周恩来に、将来の統一に使いように指示して分け与えています)。
しかし、陸軍は上海市場に、熱河で育てたアヘンを売り(阪田機関)、稼いだ資金でさらに戦争をしかけ占領地を広げました。日本の軍閥(三井三菱)はその軍部に武器を売り続けました。そして、最後には占領地域では人体実験まで行ってしまいました(731部隊)。悲しいことですが、戦前の日本の軍部はこれを当然のごとく行い、自らの手柄をしました。戦争とは、そんなものだと。
これに対し中国側では、その日本と妥協の道を探る南京政府の蒋介石に対し、ゲリラ戦で徹底抗戦し続けたのが共産軍でした。まだ満足な武器はありません。アメリカに巣食っている戦争屋は、日本の中国での占領を満州で終りにさせず、大陸全土の占領へとけしかけます。共産ゲリラに対しては、国民政府にも、日本軍にも抵抗することを支援します。ロックフェラーこそが、ソ連のインターナショナルの最大の支援者でした。
日本との講和を目指す蒋介石は共産党を弾圧しつづけますが、毛沢東は「長征」を敢行し、延安に根拠地にします。
日本では1936年に226事件がおきると、昭和天皇は実子がバチカンに送り出されたあと、まず、日本国内を割らないことに腐心しますが、自分自身も軍部によって一時、那須の御用邸に軟禁させられてしまいました。このとき、大本営は皇居内部に移されました。一方、この年末には西安事件がおき、それまで共産党への弾圧に明け暮れていた蒋介石が、周恩来との間で「国共合作」に合意し、一致して日本軍に立ち向かうことを確約します。
多くの日本人は、このときの「合作」さえなければ、日本軍は完全に大陸を制圧することができた、と考えます。しかし、これは中華民族の生存をかけた、ギリギリの知恵であり、この時期、もっとも積極的に動いたのが、IPRなのです。(まだ確認は取れていませんが、この「合作」の裏には、「ヒロヒトの意志」があったのかもしれません)
中国の内戦と、日本の軍事侵攻。 これをどう見るか?
アメリカンの戦争屋(ロックフェラーとスカル&ボーンズ)は、これこそ日本占領の最大のチャンスとみました。
それは、昭和天皇自身に大陸侵攻の意志はなく、逆に中華民国を育てようとしていたのを知っていたからです。ヒロヒトが「天皇の金塊」の最大の権限者であり、母方には、明皇室の血が入っていました。アヘン戦争後にぼろぼろになった中国大陸を近代国家にするのが、母から託された「隠された使命」だったのです。
しかし、そうしたヒロヒトの姿勢を嫌ったのが日本の陸軍であり、彼らは秩父宮待望論を振りかざしながら、現地では独断でどんどん作戦を進めたのです。カネがなければ、馬賊を使って略奪し、さらにアヘンを売りさばいて稼ぐ。その手先の代表が児玉誉士夫でした。
1937年7月の盧溝橋事件のあと、共産ゲリラによって通州事件(日本人子女が虐殺される)がおきると、日本軍は逆上し、中華民国の首都の南京攻略に向います。これには、もはや昭和天皇も抵抗できない情勢でした。蒋介石は重慶に逃げ込み、このときにアメリカに、援軍を要請します。
結論を先に言えば、第二次大戦の本質は、戦略目標もきちんと確定させないまま、大陸に入り込んでズルズルと軍事侵攻した日本軍に対し、中国がアメリカに助けを求めたものといえます。この間、アメリカに巣食った戦争屋が双方を煽り続け、日本はいい気になって、さらにインドシナにまで日本軍は戦線を拡大し、アメリカと本格戦争になっていったのです。
それを、日本の国家主権者である天皇が、日本軍を潰すために、シンポール陥落後も、承知してあえて敗戦に導いた。 そのときに、アジアから植民地支配を一掃させるという、名誉を、日本軍にあたえながら。
1931年の満州事変のあと、大陸では日本軍と中国軍(国民党)の小規模戦闘はありましたが、どちらもこの軍事衝突を戦争とは言わなかった。その理由は、戦争と言った場合、それまで日本・中国に中立国であったアメリカから、双方が、鉄くず、原油などを輸入できなくなるためだった。蒋介石は、日本の陸軍士官学校の出身であり、日本軍よりも共産党の掃討に力を入れていいたのです。
日中間の本格戦争を最後まで回避させようとしていたのが昭和天皇でしたが、蒋介石が重慶に逃げた時点で、アメリカに軍事支援をもとめるので、日米の戦いが不可避になるのは、わかっていたのです。
1937年7月に蘆溝橋事件のあとに通州事件。そして、12月に日本軍による南京攻略。これは、日本が自ら進んで、本格戦争を仕掛けたものです。これは、言い訳ができないでしょう。 そして、1939年、日本はIPRを脱退します。以後、平和調停の場は、全くなくなりました。
その前の1934年から1941年7月までに、FRBのフォートノックスに、1.5万トンの金塊が運び込まれます。これは戦後、FRBが発行する米ドルによって世界経済の枠組みを組み立てる方針が、すでに、内部(昭和を含む王族会議)で固まっていたのです。
ヨーロッパではナチス・ドイツが政権を奪い、ポーランド侵攻に入ります。1940年にフランスを占領したあと、日独伊三国同盟になります。 そして、IPRでの筋書き通り、日本は1941年12月8日にパールハーバーを起こします。日本はドイツと軍事同盟を結んでいたため、アメリカは、日本のみならず、ドイツにも戦争を仕掛ける外交上の理由を得ました。
これでアメリカは、日本およびドイツに正式に開戦し、戦後の覇権国の道が開かれました。FRBの米ドルの背後には、ヒロヒト個人が必要だったので、アメリカは退位を望まなかった。
昭和天皇ヒロヒトは開戦の詔勅をだした日本国最高責任者ではなく、戦後の国際金融の仕組みを立て直す人間として、ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされてからあと、ポツダム宣言を受け入れ、「終戦」を宣言します。 「敗戦」とは、いまでも、言わないのです。
そこから、日本の戦後が始まっているのですが、米ソ冷戦の中、アメリカの占領下になった日本国では、官僚主導の経済復興が順調だった為に、一般国民は物事の真相に触れないまま現在に至っています。「お上」信仰はマネー経済でさらに強められたのです。
「金融ワンワールド」を創るために、20世紀はあえて戦争が起こされ、それによって、翻弄されたのが、国家大義とマネーでの利益によって思考停止になったままの私たちです。
国際政治は、常に戦争屋という悪魔と隣りあわせだったのです。
いまだに、この延長線上で、大企業を中心に、マネーでの富を追及するのですか?
そして、戦後のFRBの仕組みを利用したジオニストと、同じ陣営に安倍政権はいるのですが、私たちは、このまま、国家としてここにい続けるのでしょうか?
戦後の人造国家イスラエルに対し、パレスチナの住民は、今、損得の次元ではなく、民族の生存の次元で、抵抗を始めています。これは死を怖がらないものです。イスラエルのジオニストとは全く覚悟が違います。
イスラエル国民を日本国に来させてはどうでしょう。そして、戦争屋と一体となったジオニストのイスラエル支配を止めさせる。
日本では、かつての縄文人と出あった、最初のヘブライ人のように、手にした文明の利器をつかって、生きている今の現場、生活の場のすぐ周囲に、どんど、多くのイノチを増やしていって、本当の豊饒を作り出す。
そこでは、現実に今、生きている「喜びの表現」として、生きた芸術作品を、実際の生活の場に、どんどん作り出す。こちらにむかうのに他国との戦争はいりません。マネーですらも、単なる道具なのです。大切なのは、目の前に出会う、多くのイノチを尊重すること。
過剰な工業製品も、広告宣伝もいりません。 快適に素敵に、持続的にくらす。そして、世界の人と繋がる。
自分の生きている喜びを、どんどん表現していく。 これに、「国家」の大義も、企業の利益追求もいりません
エネルギーの自給さえ実現できれば、そうした世界は、この地球上で、どこでも可能になります。
2013年にアメリカから出されるはずだった「ヒロヒト・ファイル」ですが、どうも公開を拒んでいるのは、日本の官僚たちのようです。 いつまでも、日本人を、考えない「カネくれ羊」のままにしておきたいのです。そうして、原発を推進しながら。
日本社会が、マネーで縛られた企業戦士という「社蓄」と消費奴隷という「羊」の群れままだと、子孫も残さないし、日本人は、死に絶えていきます。 それでいいの? 私は、いやです。 だから、別の道を進みます。