おはようございます。
1) 日本の奥の院:
不比等によって701年に大宝律令が出来た時から、この日本列島の統治の枠組みを決め、時代時代の統治体(政権の形も含め)の方向性を、慎重に見極め、それに相応しい次の支配者を作り出してきた人間の集まりがあります。
これが、私がときどき言葉に出す「奥の院」のジイサマたちです。
縄文の血をほんの一部は引く家系(玉置)もふくめ、全部で、5系統の家系の代表者からなります。
この5系統のジイサマは、普段は、ふつうの人間として社会に溶け込んでいます。大体、70歳以上で90歳くらいまで。彼らは隠語で「政府委員」と呼ばれ、折に触れ、5人で公園などに集まって、四方山話をします。
このときに、天皇家のことや、大企業の経営内容、海外の金融勢力の動き、日本の企業進出、今ある日本の統治体としての機能や枠組みの確認、そして、なにより、国家(国体)が今後も潰れないかどうかという国家存続の次元まで話をします。
国家存続の話をするときには、財閥系の大企業が一つ二つ消えてしまうことなど、全く小さな次元のものと捉えられます。もっと、深く、根本の、日本人と、この日本列島での統治体の存続に関わる視点で、「現在」の情勢を分析します。
彼らジイサマの後輩・親戚縁者は日本全国の各分野にいます。権力者もいれば、反権力の立場の人間もいます。企業内部にも、官僚にも、司法にも、メディアにも、学界にも、それぞれ、十分、影響力のある名士がいます。
どの家系も、末端まで入れると直系でも100万人は越えてしまいます。ジイサマたちは自分がもう老衰で、そろそろ判断力が衰えてきたなと感じると、自分の全家系の中で、もっとも見識が高く、知識も豊富で、人間性にも優れているものを選び、あるとき、「公園」の散歩に誘い出すようです。そこで、他系列の4人の前に紹介し、次からはヨロシクと伝えます。 その立場を、決して自分の息子に継がせるわけではないようです。
奈良朝の道鏡騒動から長岡京を経て桓武に平安京を造らせるとき、あるいは、頼朝に鎌倉に幕府を開かせるとき、さらに、尊氏が後醍醐を吉野に追い込んだまま室町に幕府をおいた時、そして、家康に江戸に幕府をひらかせるとき、いずれも、どうも、この5系統のジイサマたちが鳩首して、方針を決めていたようです。
そして、幕末には日本列島から流出していた「天皇の金塊」が客家の手によって日本に届けられるのを知って、 徳川に任せていた日本を、中央集権の強大な国家に作り変えようと決意したのも、このジイサマたちです。 イギリス、フランス、バチカン、フリーメーソン、そして、ロスチャイルドが、いろいろ入れ知恵しても、この5人のジイサマの「公園散歩」での「了解」がないと、まとまりません。
戦後、昭和天皇がマッカーサーと会うときにも、その後、どうするか、このジイサマたちは話していました。
そして、2013年の今、ジイサマたちは、何とか日本の名誉を取り戻したいようで、無理して安倍に最登場させたのですが、いかんせん、全員80歳以上ですから、頭が固い。古い。ノスタルジーが強すぎる。
そして、日本文化の本来の姿も、明治以降のものに縛られすぎています。それぞれの先祖から伝えられた個別の「伝承」や「伝達事項」はあっても、地球人類史全体の中で、自分の一族の長が、いつごろ、列島に来て、王権の形成過程で、どうかかわっていたのか、については、本当にぼんやりしたものしか理解していなかった。明治維新後に、中央集権の近代国家を作るために、キリスト教の信仰体系と組織論を参考にして、古事記日本書紀の記述を、考古学が発見した事実よりも優先する愚かしい歴史観を創り、それをもとに神社界を再整備し、国民には、コンクリートで塗り固めるように天皇中心の世界観を教育するしかなかったからです。
戦後になって、この「公園散歩」のメンバーは、とにかく経済復興を第一義に、国民全体の所得の増大を目標にしました。そして、、福祉にも力を入れましたが、いかんせん、森羅万象を前に、誰もが、自分で、自分にとっての心の内から自然と湧き出る理想の世界を創るという視点は、天皇存在の前に遮断され、まして、それを創りだすという意志を、教えることはありませんでした。そのとき、まず先に、皇祖神アマテラスあり、と教えたのです。その中で、位人身を極めよと。
ジイサマたち自身は大変な努力家で、また、秀才よりも天才タイプ多いのですが、このスメラミコトのおられる大八洲に、海外で確立された最高度の知性を、自分たちが作り出した制度の中で国民に紹介し、それをきちんと理解し、有用な制度や商品に生かせる能力のあるものを求めたのです。
つまり、ジイサマ自身が、エリート主義の塊りであり、戦後直後は、機能したものの、21世紀には入っても、体制維持のための、官僚と利権屋の互助会を擁護する制度論者だったのです。彼らに対し、真剣に怒っているのが、実はサンカの大元さまなのです。
2)日本の国家権力と、原発。
そして、「奥の院」のジイサマたちは、日本という国家(統治体)の維持のためには、国民の側に、どんな犠牲が出ても、それはそれでしょうがない、と考えているのです。弱いもの、馬鹿なもの、使えないものは、しょうがない、と。
で、こんなジイサマが、戦後の日本人の科学力を信じ、利用を認めたのが、原発だったのです。
今の原発マフィアの根っ子は、ここまで深いのです。
だから、山本太郎よ。 自分自身が、1300年の歴史を作り変える立場にあるとの自覚と自負を、自分の内側に確立しないと、物事は前に進まない。相手は、そこまで重い。
ジイサマたちにも、もちろん人間としての情はあります。時に、溢れています。ただ、国家、統治体がどうなるか、これを常に最優先に考えてしまうのです。
今、日本では、民主党時代に事務次官会議が廃止されて以来、官僚機構での司令塔機能はなくなりました。最後の事務次官会議を仕切った内閣官房副長官の古川氏は、今、大変な苦悩の中にあるようです。そして、財務省の勝次官がインターネット会社に天下りしたように、それでもなんとか、日本国民を、ネットをつかって情報操作ができる立場を確立していきたいのでしょう。
しかし、そのネットでの日本社会のコントロールすらも、本家のアメリカから「ディスクロージャー」が始まり、情報の機密性はドンドン剥げだしているのです。そして、国家を形成した巨大な共同幻想も、それに喜んで浸る人間が目覚め、自分はどの次元の幻想の中にいたのか、模索が始まっているのです。
私は、日本列島で最初に王権が生まれたのは、前漢武帝の時代と考えています。このときは、全く幻想はなく、生きるための必要から生まれたと考えます。そのときには、ヘブライ人の第一波が、瑞穂の国(森の民=縄文、海の民、沼の民=稲作民)に入り込み、さらに、始皇帝を出し抜いた徐福が3000人を連れて渡来し、溶け込みだしていた状態でした。
これが古代出雲にあたります。この初期王権には、マネーもなければ、文字(漢字)もなかったのです。
この時代、最も大切なのは、イノチであり、ここの家族・部族ごとに、完全に自律自立していたのです。
山本太郎氏は、今回、参議院議員になりました。まず、何から、手をつけるべきなのか。
彼の政治的熱情の起点は、原発被曝の真実ですが、その核心は、なんといっても、子供たちのイノチでしょう。
被曝地域の子供たちに移動の自由を確保してください。 これ以上、被曝させないように。
移動のバスと、受け入れ先の自治体での移住費を、 原発関連予算から、引っ張り出してください。
これには他の政党はもちろん自民党内にも賛同者がでるでしょう。もし、賛同しない人間がいれば、その人間は悪魔そのものですから、言質を捉えて、大いに、晒し上げましょう。
そして、今回の獲得した65万人の票を背景にして、次に目指すべきは、全国のお母さんのたちのイノチのネットワークの構築もありますが、、ここで、一つ、参考にしてもらいたいものがあります。
今の日本では、福島の被爆者、特にその子供たちが、もっとも危うい状態に置かれていますが、広く日本全体をみたとき、政治的に自分たちの権利を確立するのが遅れている人間に、全国にいる非正規の労働者たちがいます。この人たちは、2000万人以上に上ります。 私の友人のマドモアゼル愛氏は、この人たちを結集できたものが、間違いなく、近未来の政治勢力(権力)になると指摘します。 http://mademoiselleai.nifty.com/madeailog/
たしかに、彼らの数は多く、しかも、今のアベンミクスの中では未来が見えません。彼らは、企業経営者からはコストダウンの対象にされてしまった。個々の仕事の場面では常に、派遣会社に30~40%のピンハネにあっているのです。グローバル化の展開が進むと、日本国内では、正規社員よりも非正規の需要は高まり、しかも、どんどん、価格競争に晒されてしまうのです。
今の日本では、一定の現金収入がないと、生きていけない厳然とした事実がありますが、この非正規労働者の2000万人に、企業論理に従属しない、生き方の仕組みを提示して、それを、国家権力が支援する方策を、考え出せば、これは、国家にとっても、労働者個人にとっても、ベストなものになっていきます。
よく言われる、 「半農・半Ⅹ」 からさらに進んだ、 自給圏の構築になります。
国家や企業側に待遇改善を求めることも必要ですが、 非正規労働者こそ、実は、自己実現をせざるを得ないところに追い込まれている立場です。 企業への就職という思考以外に、連携して自分たちの王国をつくる、という発想の集団を作れないか?
これができたときに、本当に日本は変わることが出来ます。
あたかもこれは、大宝律令が出来てから後も、頑なに、大和朝廷に縛られることを嫌った、山の民=サンカ の生き方を復活させるものでもあります。明治の自由民権運動の本当の核心は、このサンカたちが、戸籍を持たされ、納税はともかく、兵役の義務を課されることを最も嫌ったのです。必要のない殺傷はしない。これが、縄文から続く、サンカの生き様だったのです。
安倍政権は、いま、国家(統治体)による不必要な戦争を求めることで、国家の存在を大きくしようとしています。 しかし、今の日本は、そんなことする前に、子供や若者たちがどんどん傷ついていっているのです。
日本の名誉を語りながら、大いに、この二つの部分に、声を上げていただきたい。